こんにちは。神山しずくプロジェクトの渡邉です。
先週立冬を迎え、朝夕の冷え込みがぐんと増してきましたね。しずくストアでも、ついに薪ストーブに火入れを行いました。本格的な冬を目前に、薪の手配に勤しむこの頃です。
さて今日は、今年の4月からしずくメンバーに加わった木工職人候補についてお伝えしたいと思います。
故郷を離れて活躍する50代男性と、地元でこれからを模索する20代女性。
今回は、しずくが彼らを迎えるまでのストーリーを中心にお届けします。いつも見守ってくださる皆さんへのご挨拶とご報告としてお読みいただければ幸いです。
Topics
・職人募集の経緯
・選考に残った真逆な二人
・決定にあたって、応募側・募集側それぞれの葛藤
・止まったろくろが再び動き始めた日
・「出会うべき人」という確信
・覚悟の名刺
・「めざせポケモンマスター」
職人募集の経緯
しずくプロジェクトは、神山町の水源枯渇問題に対して人工杉の新たな活用法を見出し、解決の糸口を提案しようとスタートしました。等身大でできる取り組みとして、
①杉を薪にして、エネルギーの自給を試みる
②杉で手渡しできる商品を作り、活動費に充てる
この2つを柱に、まずは小さな循環を自分たちの手で作ることを基軸にしました。
杉にしかない価値を木工の素人目線で掘り起こしたところ、高い職人技術に助けられ、「前代未聞の器を作る」こととなりました。おかげさまで11年目に入った今でも、多数のご予約をいただけるような唯一無二の価値を提供できるまでになりました。
一方で、競合がいないのは「参入メリットがない=厳しい条件の方が多い」とも言えます。「経済合理性だけでは成り立たないものづくり」を貫くには、それ相応の苦労の連続でもあります。
それでも見守り応援してくださる方々の顔が無数に浮かび、プロジェクト自体が命を持つように動き始めた感覚を覚えていることも事実です。理想通りに進まずとも、歩みを止めないために、将来の職人を育てていく必要がありました。
そのような背景から、昨年10月にお知らせした木工職人候補の募集では、「職業選択ではありますが生き方の選択をしていただける方を歓迎」という、ある種、時代錯誤的な言葉も敢えて使い、募集を開始したのです。
選考に残った真逆な二人
おかげさまで様々な方とのコンタクトを続け、残った二人が今回の主役です。
1人目は、徳島県出身の薄井秀明さん。県外で就職し、日本のものづくり現場の最前線で、30年以上のキャリアを積んできた現役モデラー。神山町出身の奥様と、定年後には徳島に戻りたいと常々話していたそうです。実は2年前の募集のときにも問い合わせを下さり、その後もしずくの発信を追いかけてくれていました。
2人目は、岐阜県出身の松本明子(めいこ)さん。接客や販売・事務職などを経て30歳手前で一念発起。岐阜県内にある1年制の木工スクールに通い、初めてのひとり暮らしをしながら、木工の基礎を学んで半年、卒業後の進路を検討する時期でした。彼女もまた、木工スクール入校の前にしずくプロジェクトを知り、卒業後の進路イメージのひとつとして持っていたそうです。
薄井さんは、物心ついた頃から手先が器用で機械いじりやプラモデルづくりが得意。大人になっても変わらず、一心にものづくりに生きてこられた方でした。
松本さんは、高校で家具作りを専攻、ものづくりの楽しさを感じたものの、仕事では選べなかった引っ掛かりを抱えていたそう。
応募当時、薄井さん52歳、松本さん28歳。親子ほど離れた年齢と、真逆とも言える境遇、この時点での共通項はひとつ、木工ろくろのスキルはともにゼロという本丸部分の欠如でした。
それでも二人が残ったのは、これまでのしずくチームに足りない素質を持ち、かつ募集以前からしずくプロジェクトのことを気にかけ熟慮する期間があったことなど、未知数ながら一筋の可能性を感じたからです。
決定にあたって、応募側・募集側それぞれの葛藤
ただ、そう簡単に決まったわけではなく、それぞれに懸念を抱いていました。
薄井さんは、年齢について。比較的若く女性メンバーが多いしずくチームに対して、求人に年齢制限はないのだろうか、また、男社会でやってきた自分が馴染めるのか…。
松本さんは、技術面について。しずくが求める木工ろくろの技術水準に対して、はたして自分に務まるのか?今の自分のものづくりのスキルでは、自信はない…。
募集側の私たちは、本音を言えば今度こそ失敗はできない、ゼロスキルから育てる大変さを痛感していたからこそ、またその積み上げが始まるのか…という徒労感に苛まれることも。
薄井さんには、長年の大企業勤めから小さなチームへ、工業製品から工芸品への転身の変化に対応できるのだろうか。松本さんには、スキル習得までに予想以上の時間がかかるかもしれない。仕事で自信がもてるまでの間、初めての県外かつ田舎暮らしは支障にならないか。そんな憂慮もありました。
それでも、薄井さんの「一生、大好きなものづくりの現場にいたい。原点である徳島に帰りたい。」、松本さんの「一目惚れした、しずくの器を作りたい。しずくで成長したい。」という内から湧き出る強い意志と、悩ましい部分も隠さず話してくれる彼らの率直さ、葛藤を乗り越え、「それでも人生のターニングポイントをしずくで迎えたい」と、行動を起こしてくれたこと。その心境の道のりをそれぞれに感じ、心を動かされたのも事実です。
そして、「前代未聞の杉の器」を作る上では、ゼロスキル=先入観のなさをも、武器にできること。
しずくで行う職人仕事は、生態系の中の山林、その循環や文化を守る尊い仕事であること。
今の私たちだから伝えられる価値観があり、しずくだから出来るものづくりを続けるためにも、「受け入れ側の私たちも、ともに成長していこう」と腹を括り、薄井さん・松本さん両名のしずくへの受け入れを決めました。
止まったろくろが再び動き始めた日
丁寧に時間をかけて採用を決めた昨年冬から束の間、彼らの入社を待たず、新人の指導役を務めるはずのたった一人の職人が突然退職しました。
薄井さん・松本さん目線で見ると、技術習得が軸の転職先にも関わらず、指導者が不在。私たち製造元としては商品供給が不安定になった危機感と同時に、長期にわたる新人育成のはじまり。さまざまなプレッシャーが各人にのし掛かる緊急事態に見舞われながらも、この機会に新体制を築いていくという私たち・彼らの決心を固め、春がやってきました。
製作が止まってしまったラボに代わり、藁にもすがる思いの私たちを救ってくれたのが、京都の木地師・上田量啓さんでした。上田さんにとってもチャレンジだというしずくの製作を託したばかりの時期に、次は「新人二人の指導もお願いできないか」という無茶振り。
遠隔地の指導者から、技術を学ぶ。二人を連れて京都へ一度伺うも、作業は神山で行う。これまでの前提や常識を外し、限られた条件のなかで最適解をひねり出すという、負荷のかかる課題の連続でした。新しい環境で、大本命のろくろに触れられないまま時間が過ぎていきました。廣瀬は何度も京都へ赴き上田さんとの相談を重ね、ついに、当たり前ながらいちばん遠く思えた、自分たちの場所での直接指導という理想を実現できました。
数ヶ月、沈黙を守っていたしずくラボの木工ろくろが動き始めた日。たどたどしくも杉を削りはじめた二人の姿は、今でもはっきり覚えています。これまでの様々な事柄が一気に思い返され、思わず涙が溢れた私が、ふと隣を見ると、同じ目をした廣瀬が、二人の背中をじっと見守っていました。
「出会うべき人」という確信
暗中模索な職人修行のはじまり。そんな中で、最初に安堵したのは、二人の相性の良さを感じたときでした。薄井さんの年長者としての気遣いと、緊張しつつも物怖じしない松本さんは、対照的ながら意外にも共通点が多く、あっという間に打ち解けていました。
実際、ラボでの作業においても二人の特徴と関係性は興味深いものでした。長身で大柄な見た目とは裏腹に、繊細さと几帳面さを発揮する薄井さんに対して、ほわんとした見た目に大らかであっけらかんとした性格の松本さん。「ろくろスキルはゼロ」という同じスタートラインに立ち、薄井さんが持つコーティングの技術と、松本さんが学んできた木工の知識を持ち寄ってともに課題にチャレンジする姿。それは、廣瀬が8年前、職人育成をはじめる当初のイメージを彷彿とさせました。
凸凹コンビと自称する二人が「神山で新しいスタートを切った仲間」として二人三脚(ご家族ぐるみ!)で公私共に支え合い、日々成長する様子に、募集時に書き添えた「出会うべき人に出会えますように」という、私たちの願いが実を結んだような気がしています。
覚悟の名刺
ちなみに入社後、彼ら自身で肩書きを決めるという仕事に取り組んでもらいました。「自ら考え決めていく」というしずくチームの姿勢を理解するため、自身のこれからに胸を張っていくために、という狙いです。
師匠不在のなか「職人候補」と書くべきか「職人」と名乗ってもよいものか…。「木地師」?「見習い」?「木工ろくろ職人」?? 自分をなんと説明すべきか、チームの中で何を担うのか。
さまざまな候補の中で決めた「木工職人 松本明子」「”おやじ” 木工職人 薄井秀明」には、しずくラボで、ものづくりをスタートさせた二人の覚悟が込められています。
ものづくりの立場からしずくチームを支えるというミッションを担う彼らは、今日もラボでこつこつと製作に向けた課題に取り組んでいます。ろくろ台に向かい切磋琢磨する彼らを、支え育て、チーム全体で成長していきます。
「めざせポケモンマスター」
最後に、二人からの言葉も紹介しますね。それぞれの人柄が存分に出ています♪
■しずくチームに入っての感想
薄井:正直、素直に毎日が楽しいです!今はいつでもどこでも「杉とろくろと塗装=器」の事ばかり考えています。 50歳を超えて、こんなに毎日「ワクワク」しながら会社に来れて、毎日、頭と手を動かしチャレンジ出来る喜びを本当に噛み締めています。 何度、元同僚や先輩方に「楽しい!」とSNSで連絡したことか…。
入社前の心配がバカバカしくなるくらい、気がついたらしずくファミリーの一員となっていたと思ってます。今では役職名にもある、しずくの「おやじ」になるべく、楽しく過ごしています。
松本:まずは、「一目惚れした、あのうつわが作れるようになる!?」という、驚きと楽しみでワクワクとした気持ちでした。
指導者不在であったり、実家から片道6時間かかったり、新天地で友人もいない土地勘もない。それでも「やるしかない、なんとかなるさ」という思いと、チームの支え、いろんな意味で大先輩な薄井さんとなんでも話せるような関係性が築けたのが一番なのかな、と思います。だから、あーでもないこーでもないを楽しく日々過ごしています!
■現状について
薄井:自分たちでラボを一から再構築していく大きな不安はありつつも意外と「ワクワク感」と「やったろうやないかい」の感情の方が優っていたことを覚えています。
とは言え、ろくろ修行はやはりとても困難で、数ヶ月は何をやっても刃物が柔らかい杉に引っ掛かり、材を飛ばす失敗の日々(笑) 身体で覚えるしか無い!と腹を括り前向きにろくろ台に向き合い、少しずつ「杉を削る」ことを理解してきました。
プライベートでは、高校卒業後20歳で結婚。長女である妻に家業を継がせたかった義父には、30年を越える愛知生活という親不孝をしましたが、帰郷をとても喜んでくれました。空き家だった義父の生家を一緒に改修しよう!と言ってくれた矢先…眠るように亡くなってしまいました。 神山のこと、林業のこと、山や木のこと…様々な事を教わり学ぶつもりが、仕事に続いて生活でも「師匠」を失ってしまいました。
義父が愛した「神山」と「山々・木々」そして「生家」を妻とじっくりゆっくり受け継ぎながら、山の恵み・厳しさを「今」まさに実感しつつ、神山生活を満喫しています。
松本:仕事は暗中模索!といっても、しずくはみんなで一緒に探してくれるので全然暗くはないです。師匠やサポートして下さる皆さんのおかげで、やっといろいろわかってきたかも…?というのが現状です。相棒の薄井さんと切磋琢磨、挑戦と失敗を重ねながら商品製作を目指しています!
生活に関しては、神山町は山に囲まれた地域なので、岐阜の景色に似ていてホッとするところもあります。今思えば、来たばかりはホームシックになって…いつもの異様な食欲がびっくりするぐらい湧かない日はびっくりしました(笑)神山に来てからは初めてのことがいっぱいです。つい最近は、鹿と接触事故を起こしましたが、鹿も私も無事でした(笑)
住居も最初はシェアハウスで友人ができたり、秋には念願の住まいに引っ越しできたり、地元の方に夜ご飯に呼んでもらったり、鹿のときもすぐにアドバイスをもらったり。日々、助けられて神山ライフをおくっています。
■抱負
薄井:神山に来て早々、波瀾万丈な自分の今の信条は、「やれる事はやり切る!」 「やれない事でもチャレンジする!」 。
幸い、自分には周りにたくさんの心強い人たちがいます。神山女の妻、頼りになる同期、しずくファミリー、支援してくれる多くの仲間たち。こんな幸せを、50歳を超えた今でも感じられる環境がある!それに甘んじる事なく、「53の新人」として、いち早く「神山の木地師」と呼んでもらえるように日々精進していきたいです。
松本:薄井さんを相棒に「めざせポケモンマスター」です。
♪ いつもいつでもうまくいくなんて、保証はどこにもないけど、本気で生き…たい!!
まだ「生きてる」なんてかっこよく断言はできないけれど、生きることは大事なことだから。
「それ」をしずくプロジェクトでやっていきたいです。
紆余曲折ありながらも10周年の節目に、新生しずくチームが誕生しました。どんなときも変わらず支えてくださるお一人おひとりに、改めて御礼を申し上げます。何度も諦めかけた苦しい時が過ぎても、今なお、すべてが解決したわけではありません。
しかしリスタートを切って解ったのは、失くした中でも残る無形の富が、確かに私たちにあったこと。失敗ではなく、成長の過程だったという実感が、時間を経てさまざまな形で見えてきたこと。私たちだけでは到底及ばない、だからこそのチームづくりであるという原点に立ち返っています。
新しい木工職人たちの成長記はまた改めて。
これからも温かく見守っていただけるよう励んでいきます。
※二人の育成には、神山町役場の「神山町まちぐるみ研修生制度」を利用しています