こんにちは。神山しずくプロジェクトの渡邉です。
気づけば3月、ぽかぽかと春の陽気に元気をもらう日が増えてきました。
鳥のさえずりを聞きながら暖かい縁側でネコとくつろぐ時間は至福そのもの。
このひと時のために田舎で暮らしていると言っても過言ではありません。
しかし、そんな時たいてい他にも喜んでいる者たちの気配を察します。
突然ですが「蠢く」という漢字、読めるでしょうか?
正解は…「うごめく」。絶えずもぞもぞと動く、という意味で、
虫たちが春に動き出すイメージから作られた恐ろしい!漢字です。
神山に移住して8年。2020年以降、移住に関する取材や質問をいただく機会がより増えました。
その際、必ず話題に挙がるのは虫問題。
「移住には興味があるけど虫がどうしてもダメで…」「虫嫌いの妻を説得できません。。」
気持ちは重々わかります、
かくいう私も触るのが嫌すぎて蚊も殺せなかった人間です。
春の訪れに歓喜しつつも、虫たちの蠢きをうとましく思ってしまう…
という複雑な心境にくりかえし陥ってきました。
しかし、この春の私はひと味違うのです!そりゃあ、まったく平気なわけではありませんが、
圧倒的多数派が虫である田舎で生きていることに、気持ちの整理がようやく追いついてきました。
そんな心境の変化について、今日はお伝えしたいと思います。
私の場合は、”ネコ”と”生物多様性”がキーワードでした。
Topics
・ネコのおやつは生きた蝉
・大事なのは、ハチミツじゃない
・ルーペで見えた大きな世界
・杉のあとに広葉樹は育たない
・知ることで見方が変わる
ネコのおやつは生きた蝉
先日の放送により一躍有名になったわが家のネコたち(あちこちで声をかけていただきます…笑)。
当初、保護直後は近隣の交通量から完全イエネコとして飼っていました。
しかし、日本家屋の引き木戸とネコは相性抜群。
1年も経ち、コツを掴むと勝手にあらゆる戸を開けては、どんどん出かけて行ってしまいます。
心配する飼い主を尻目に屋外で過ごすネコたちは、まさにのびのび。
本来の姿を取り戻したような満喫具合で、家に”おみやげ”まで持ち込んできます。
ボールかと思えば弱ったネズミが宙を舞いネコと奪い合った末、庭に埋葬しつづける春。
バリバリと聞き慣れない音に振り向くと、口にセミの羽をつけたまま
「おいしかった」と言わんばかりの表情と目が合った夏。
鳥の羽毛が部屋中にばら撒かれる秋に、草の奴隷として体中にチクチクした種をつけての帰宅、
ソファーや布団、私たちの服までチクチクし続ける試練の冬…。
ネコを外に出すというのは悲鳴レベルのハプニングが絶えずやってくるということでした。
しかし3匹とも病気ひとつせず仲良く人懐こく、なによりシアワセそうなのです。
そんな彼らを通してペットというよりも動物と暮らすこと、
生き物としての自然体であることに徐々に(強制的に)慣れ、
それが是だと思えるようになってきました。
大事なのはハチミツじゃない
ハチミツが欲しくてはじめた養蜂。ハチミツは大好きだけれど、
蝶すら気持ち悪く感じる私。刺さないならいいけれど…位の気持ちでした。
しかし、独自の生態を知り実際に蜜蜂から大家としての品定めをされた経験から、
なんだか気になる存在に。
大家としての品定め…夫である廣瀬が家の横の畑に養蜂箱を設置したあと庭先で「こいつは何者?危険ではないよね⁈」と見定めるように、蜂たちが廣瀬の周りを飛んでいた。それを笑っていた翌日、家の窓際にいた私にも蜂たちが同一の行動を取ったという一件…。
蜂の重要性は2015年、食と持続可能性がテーマだったミラノ万博で知りました。
入った先のパビリオンのほとんどで蜂が取り上げられていたからです。
また神山でも一時期、農薬により大激減したと聞いています。
今思えば情報としては知っていても、昆虫として目の前に現れたときには
「虫はイヤだ、関わりたくない」と長年の思考癖により処理されてしまっていたように思います。
でも、現に私の手に止まるほどおとなしい蜜蜂たち、働き蜂は全員メスで記憶力抜群という人ごととは思えない実態、
さらに畑での人工受粉が養蜂後には不要になったことなど、
小さな発見やできごと重なり、単なる虫、と捉えるには情報を持ちすぎてしまったのです。
じつは、虫媒花という学校で習う単語を私は完全に忘れていました。
受粉時にどんな手段を使うかの分類ですが、虫・鳥・風・水で分かれるそうです。
多くの人が今まさに悩まされているであろうスギ花粉。杉は代表的な風媒花です。
梅やアンズは鳥媒花。梅干しも杏仁も鳥の手助けによって生まれてきます。
そしてイチゴやリンゴ、キャベツやダイコンは虫媒花であり、
蜂以外にも花によって蝶や蛾、ハエ、カブトムシなども媒介者としての役割をもっています。
食事では自然栽培がいいなんて言いながら、それがどう作られているのか、
身近にいる生き物とどう関わっているかなんて、知ろうともしていませんでした。
“刺身が泳いでいる”を笑えない、都合のいい部分だけを享受している自分に呆れます。
ルーペで見えた大きな世界
そんな経験を重ね、昨年秋から学びはじめた生物多様性。
生物多様性とは、ひとことで言うと生き物同士の繋がりのことです。
しずくプロジェクトとして課題としている森の手入れや再生の実践。
どう行うべきか、なにができるかを数年がかりで考え続け、たどり着いたのが生物多様性の観点で山や環境を捉え直すことでした。
人工杉を伐った後、自然任せで本来の植生は育つのか
人の手で広葉樹などを植樹すべきか
針葉樹ではなく広葉樹であればいいのか…
最初はそんな疑問からでした。
なぜなら各所の杉の大規模伐採後を観察しても、
私たちがめざす「健全な森」に近づいている印象は薄いからです。
そんなときに出会ったのが「坂田の杜」という生物多様性を学ぶオンライン講座とそのコミュニティです。
おととし、廣瀬が1期生として受講。講師である坂田さんの講義が終わるたび「すごい!楽しい!おもしろい!なるほど~~!!」と
大盛り上がりの様子を見て、私も2期生として参加することに。
講義内容は期によって異なりますが、2期では
・菌の世界
・民藝運動
・木地師(木工ろくろ職人のことです!)
・家庭料理
と、一見、生物多様性とは関係がないようなテーマでした。
でも、それらが直結しないと思うのは、
私たちの文化や生活がいかに自然界と切り離されてしまったかを現しているのだと、今なら解ります。
講座開始直後、坂田さんのフィールドである
東京都八王子市にある高尾山の裏山を散策しました。
坂田さんのガイドは1時間で10mしか進まないと言われるほど、森を見るガイドです。
大の大人が立ち止まり、しゃがみ込み、そして歓声をあげながら、参加者同士で見えた世界を共有しました。
ルーペで虫の目になり花や葉、苔やキノコを見るとその精巧さに驚きます。
色や形だけでなく、その時期そこにいるにも理由があって、解説を聞くほどに単体では存在し得ない関係性が見えてきました。
図鑑や誰かの目線を通した画面ごしの映像ではなく、今ここで確かに繰り広げられてるリアルな世界が無限に広がっていたのです。
杉のあとに広葉樹は育たない
この体験や講義を通して、受け継がれてきた生き物としての視点を得ることになります。
生きるための知恵、豊かになるという意味や範囲、身の回りのものや資源をどのように利用し、人間も他の生物に利用されてきたのか。
そこには、全体のなかの一部であるという理解があり、繋がりや守られてきた循環の順序、
最適な関係や距離感があることが腑に落ちていきます。
当初の疑問だった植生の話。
針葉樹と広葉樹とで共生する菌が違えば、杉だらけだった場所にいきなり広葉樹は育たないことにも納得です。
樹木と菌の関係は、人の身体とよく似ています。
人間の腸内には、一説では約1000種類の菌(細菌)が存在すると言われています。
このバランスが崩れると免疫機能低下や体調不良になることはすっかりおなじみとなりました。
植物も、根とその周囲や土の中の菌(真菌)と共生関係にあり、
根が届かない先からも栄養や情報のやりとりをしていると分かってきているそうです。
知ることで見方が変わる
太古の昔、石炭が生み出された年代とそうでなくなった時代の違いは、菌と樹木の関係で説明できると言われており、
スケールアップすることでも思考を柔軟にしてくれます。
うっかりすると固定化してしまっている自分の考えや物の見方にも、小さな変化が。
鳥の声に癒されネコたちがその鳥を見つけては狙いに行く姿をほのぼの眺める日常には、
鳥を呼ぶ虫、虫を呼ぶ草花、それらを育む土や木々、そして水や菌がいて、
成立する景色であることに思いを馳せられるようになりました。
自分と自然との関わりをひとつなぎに考えられると、想像力の範囲が広がります。
そうして自分と他者との境界線を徐々にゆるめていくことが、これから先どこで生きていくにも大切なように感じます。
この半年の学びをきっかけに手を使い身体を動かし、この知識を深め、
知恵にしていくことが本当の学びだということも、身につまされながら、
拙い文字にしているところです。
これからの変化や気づきも少しずつ、共有していきたいと思います。
よければまた、お付き合いくださいね。