2024年8月更新
こんにちは。神山しずくプロジェクトの渡邉です。
新緑の美しい季節となりました。人工林の多い神山では、”新緑のキミドリ色”と”常緑の深緑”のコントラストで、山の現状がわかりやすい時期。
広範囲にわたる深い緑の山々には、それぞれに持ち主と、かつてその木々を植えた誰かが存在するのです。
今回は移住者ばかりのしずくプロジェクトを初期から支えてくれている地元の外部メンバーが「山を持つこと、引き継ぐこと」について紹介します。
国土の3分の2が森林である日本では、意外と多い”山持ちさん”。
しかしながら、そうでない人にはなかなか知りえない世界を、垣間見せてもらいましょう。
こんにちは。神山しずくプロジェクトの起ち上げ時から折々にお手伝いしているライターのイマと申します。
徳島市在住ですが、神山町内には父の所有する山があります。
私がしずくと出会ったのは、その山がきっかけでした。
「山を持っている」というのは、縁のない方々からすると想像もつかない話だと聞き、
一例として、山を持つことの理想と現実の話をしたいと思います。
2012年、しずくと出会った
徳島県内のクリエイターが集まるイベントで、しずく代表の廣瀬さんが山の問題について話されているのを耳にし、父が持つ山の活用について相談したのがはじまりでした。
そもそも父の山については疑問があり、将来自分が引き継ぐことを考えた時に「実際、どうしたらいいの?せっかく持っている土地だけど役に立つの?」と、何の糸口もない状態でした。
というのも父の山といっても、登記はしているものの正確な位置がわからないのです。
鉛筆で線と数字が書かれただけの黄色くなった薄紙と、変色した登記簿があるだけでした。
1974年。父、山を買う
私の父が神山町の山を買ったのが昭和49年(1974年)のこと。
知り合いのつてを頼り、山肌の一部を購入しました。おそらく母は反対したと思うのですが、父は実行。購入後、父と母ときょうだいで見に行ったことはよく覚えています。その頃、私は9才でした。
そのときの写真をみると思いの外、軽装。気軽に行ける、整備された山道だったのでしょう。
父が「将来、この山の木で家を建てたらいい」と言っていたのをよく覚えています。
その頃は、戦後約30年。まだ国産材の価値は高く、父は山の木で子供たちの家を建てられる、という夢を抱いたのでしょう。
購入後、登記は行いましたが、その後、父が山を訪れることはなく、私はすっかり忘れていました。
2000年、山がわかる人の不在に気づく
私が大人になった頃、そろそろ山を見ようと、父は神山町へ出かけました。
しかし、父に山を売ってくれた人はすでに亡くなっていたのです!
その息子さんに聞いてみたところ「山のことは知らない」と。父の山を案内できる人はいなくなってしまったことに気づいたのです。父は自力で探そうと、何度か山へ入ってみたようですが、記憶はあいまい。あの薄紙に描かれた簡素な図では、見つけられないようでした。
2017年、いざ法務局へ
90才、老いていく父にもう一度山を見せたいと、2017年、私は法務局へ。
そこで手に入れた図面は、手元の地図とさほど変わらない本当にシンプルなものでした。法務局の担当者に話を聞くと、このあたりは明治時代の手書きのデータを読み込んだだけで、その後、測量などはされていないということでした。
それでもこの図面には、道路の記載があります。持っていた薄紙の地図よりはマシです。
いよいよ家族で山を探しに行くことになりました。
春、家族総出で山探し
2017年のゴールデンウィーク。父母、帰省した家族たちと一緒に神山町へ出発。
山の登り口さえわからないので、町の人に道を聞きながら進みます。まるで探偵ナイトスクープのよう、と笑いながら、なんとか山の入口付近へたどり着きました。
足取りの不安な父母は車に残し、残りの家族でそれと思われる場所を歩きますが、特に目印や標識などは見当たりません。
9歳の頃の記憶では下から登っていましたが、法務局の地図でわかった道は上からおりていくルート。
たしか大きな岩があったという記憶もありますが、それがどの岩なのか・・・。だれも覚えていませんでした。
夏、詳しい地図を手に入れた
2017年の夏、しずくのご縁で、神山町役場の山と詳しい方に知り合い、詳しい地図を手に入れることができました。各所有者の数字がびっしり書き込まれています。これならたどり着けそうという期待が高まります。
もし、山の場所が特定できて、木を切れるようなら、地元の木工所の職人さんに箱や椅子など、作ってもらおうかな?それを子や孫たちに配れたら素敵かも! という妄想を膨らませました。
秋、しずくの仲間と山へ
山日和の10月。いざ、新たに入手した詳しい地図を持って山へ。今度はしずくの金泉さんや渡邉さんにも見てもらいます。
父母から聞いた話では、土地の境界線に目印を付けるようお願いしていたそうですが、境と思われるような所に印は見つからず…。それでも、ついにおおよその位置がわかりました!!
しかし生えている木々といえば、ひょろひょろと細いものばかり。長年手入れがされていないので、充分に育つこともできなかったようです。
「残念ながらこの木は使えませんね。」とプロの声。隣接した道路もないため、もし木が太くても運び出せないとのことでした。
現実的に、この山の木は使えないということがわかりました。
その山は私に何をもたらしたか
皆さんを巻き込んでしまったのに残念な結果となった父の山。
あの山はなんの意味もないのだろうか? がっかりしながら山を下る車中、考えました。
こんなふうに一緒に山探しをしてくれるしずくの皆さんと出会えたことが、あの山の一番の功績かもしれない!私が山に興味を持つきっかけにもなった!
いつか父の孫やひ孫たちに、父の山を見せたいし、そこでコーヒーでも沸かして飲んでみたい。
2050年までに新たに最大47万ヘクタールの森林が「所有者不明」になるとの推計を国土交通省がまとめたという記事を見かけました。
そんな記事も山探しを体験したことでぐっと身近に感じられます。
私のような人が増えている現状は、今後どうしていくのがいいのでしょうか?
また森林に対して私にもできることはあるのでしょうか?
それを考える日々はまだまだ続きそうです。
2024年冬に続編を公開予定です。お楽しみに!