皆さん、こんにちは。
神山しずくプロジェクト 代表の廣瀬です。
つい先日、旧暦の正月(2月10日)の新月の日に、今年もSHIZQの材料として杉の木を切らせて頂きました。山中では、いつも凛とした気持ちになりますが、こうして山の恵を頂く機会に恵まれたことに感謝しています。
さて、新年の挨拶で「内的自然(ないてきしぜん)」という言葉を皆さんに贈りました。このプロジェクトを通じて「世界の人々に、内的自然の大切さを伝え、広げ、本当の意味での豊かな暮らし、社会を取り戻したい。」と、こう綴ったのでした。
ご覧頂いてない方は、ぜひご一読いただけると嬉しいです。
「SHIZQから贈る言葉」
内的自然は、一人ひとりが本来持ち合わせている感覚だと書きましたが、特に日本人の我々には馴染みの深いものだと思っています。今日はその理由について、廣瀬なりの考察をお伝えします。どうぞ、最後までお付き合いください。
突然ですが、縄文人って、皆さんはどんな印象をお持ちですか?
竪穴式住居に暮らす狩猟採取民族で(他の文明人に比べ)文化水準が低い原始的な人。そんな印象ありませんか?
高度な文明と言われるには、灌漑農業や牧畜、航海技術、建築技術、暦学、文字、天文学、数学、音楽、芸術、宗教、そして王権制度による都市国家の形成などが挙げられると思いますが、世界の歴史を辿ると、高度な文明が発展する過程では、農耕のための灌漑や森林の開墾、その森林資源を燃料として鋳造技術が発達、武力や権力へ繋がり、私的所有した土地をめぐって、最後には紛争が起こります。そして、資源を使い果たした土地は砂漠化する。これが、史実だと私個人は捉えています。
縄文時代は16,500年前からスタートし、14,000年続いた世界最古にして、最長の文明で、縄文人たちは、高度な航海術をもって日本中で交易を行っていたし、天文学や地理学に精通し、暦、建造技術、芸術や加工技術など、高度な文化レベルだったことも分かっています。ちなみに、現代日本にも「旬」を頂く食文化が残っていますが、縄文人の食生活って、現代人より多種多様だったことが分かっています(興味がある方は「縄文カレンダー」で検索してみてください)。
一方、縄文人は栗を植えたり、陸稲したりと食物の栽培はするものの、決して農耕しなかったとも言われています。なぜでしょうか?
森や川、海から食糧や資源を必要なときに必要なだけを頂き、決して取りすぎない。シンプルかつ、一番大切なことを守り伝えながら、自然と共存する暮らしを確立してきた縄文人。自然と隣り合わせで暮らす日常のなかで、自分たちがいかに小さい存在で、大きなもの一部だということを、その経験を通じて、深く理解し、森を開墾する行為は自分たちの首を絞めることを知って(解って)いたんじゃないでしょうか。
こうした記憶を、後世に繋げるために、縄文人の文化として、アニミズムや古神道が生まれ、時代を経て、現代の日本へと脈々と受け継がれていった。だから、われわれ日本人の深いところには、自然に対する道徳心や倫理観、つまり「内的自然」が、もともと備わっているのでは?と、私は考えるようになり、それがどうにも腑に落ちて仕方がないのです。
そして、特筆すべき点は、ぶっちぎり長く続いた縄文時代には「紛争」が無かったというのです。だから、14,000年も続いたのでしょうね。(日本では水田稲作が伝わった弥生時代以降、紛争の歴史が始まります。つまり土地の私的所有の始まりから。)
本当の意味で「高度な文明」とはなんでしょうか?
本当の豊かさとはなんでしょうか?
縄文の記憶を受け継ぐわれわれ日本人が「内的自然」を思い出すことは、もしかしたら世界を高度な次元へ導くことに繋がるんじゃないかと、私は思えてならないのですが、皆さんはどう感じましたか?
今回「世界最古の文明から贈り物」と題して、私なりの考察をまとめ、お伝えしましたが、これを機に、皆さんも身近なところで「内的自然」について、想いを馳せてみて頂けると幸いです。
令和6年2月15日
神山しずくプロジェクト 代表 廣瀬 圭治
編集後記
ここ数年、人類史や世界史、古事記や神道、政治や経済などを調べていると、いつも頭がぐるぐるとしていました。2年前から生物多様性を学ぶ機会を得て、とうとう「内的自然」という言葉に出会いました。根拠は示せないんだけど、何かすんごい大切なことに触れた感覚があって、毎日のように考えるようになりました。
去年、青森県にある山内丸山遺跡を見て周り「あぁそうだよ。そういうことだよ」と、これまた言葉にできない、ある意味、腹落ちした感がありました。それから数ヶ月して、ある日突然「あ、理解した!」という瞬間が訪れました。この感覚を「みんなに伝えなきゃ」と、今回の記事を書くことにしたんですが….
この腹落ちしたという「感覚」を伝えようと、言葉にすることが本当に難しく、書き始めたものの、やたらめったら説明くさい長い文章になってきました。これじゃ誰も読んでくれないよー。というパートナーの指摘を受けて、うーーん。うーん。と唸りながら、できるだけ簡素にまとめたのでした。
本当は、もっともっと書きたい言葉があって、例えば、人類史から紐解く日本人のDNAの話とか、有史から始まる周波数のことや、アカシックレコードのことなど、たくさん溢れ出てきました。でも、途中で氣付いたんです。言葉を説明的に羅列する行為は、僕が知っていることを誰かに知ってもらいたいという承認欲求でしかないのかも。
僕がみんなに伝えたかったことは「内的自然は僕らの中にちゃんとある。だから、大丈夫!」たった、それだけなのかもしれない。